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介護職員として働いていると、高齢者の最期を見届ける機会もあります。仕事とは言え何年も一緒に過ごしていると、自分の身内のような感覚になってしまう事もあり、最期を見届けるのはとてもつらく涙を流す事もあります。介護職員以上に家族の悲しみは大きく、一言では悲しみを表現する事は出来ません。

別れはとてもつらいことですが、それだけではありません。最期を笑顔で見送る家族も多く、「もう苦しむ事が無いのでよかった」「たくさんの職員さんに見守られて本人も喜んでいるでしょう」と最期を迎えた親や祖父母の事を思ったり、介護職員に対して感謝をしてくれたりとぐっと胸が熱くなります。

感動的な最期のやり取りの場所に立ち会う事が出来るのは、介護職としてだけでなく、人として成長させてもらえる場面です。今回は貴重な感動体験となった入居者Aさんの、死に際に家族に送った最期の言葉をお伝えします。

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介護職の私しか知らない男性の本音

介護付き有料老人ホームで介護職員として働いていた時の出来事ですが、施設に入居しているAさん(男性)は娘さんが来るといつも居室で口論をしていました。その声が廊下まで聞こえてくるので、私が間に入ってお二人の話を聞きながらAさんの対応をしていました。

親子だからつい言い過ぎてしまう・・・

内容としては「来るのが遅い」「昔から言う事を聞かない」「おまえが無理やり施設に閉じ込めた」等、不満をぶつけているものばかりで理不尽に怒鳴られる娘さんも挑発に乗ってしまう形で口論となっていました。最終的には「もう来るな」とAさんが言い放ち、娘さんが「来ません!」と帰っていく事もありました。

最初の頃は私自身も二人の口論の間に入り、今すぐ居室から逃げ出したい気持ちでいっぱいでしたが、お二人と過ごす日々が長くなって、だんだんと私から意見も伝えられるようになり、娘さんやAさんから意見を聞かれる程の信頼関係を築いていきました。

口論で娘さんが怒って帰ってしまった時のこと。娘さんが怒って出ていってしまった後に、悲しそうな表情で「相手が娘だとどうも言い過ぎてしまう」と、苦笑いしながら私に言うのです。親子だからこそ正直な気持ちを言えないことが伝わってきました。

素直に伝えられない相手への思いやり

娘さんに対して厳しい意見ばかりを言ってしまうAさんですが、介護職員と会話をする時は娘さんの良い所ばかり話し、自慢の娘だと言わんばかりに笑顔で褒めちぎるのです。

私はAさんに、「素直に、感謝していると言ったら、娘さんも喜ぶんじゃないですか?」と伝えるとAさんは、「口が裂けても言えないよ〜!」と笑いながら話していました。また、娘さんもどんなに怒鳴られても週に2~3日は施設に足を運んでいたので、お互い素直にはなれないですが、相手の事を思う優しい親子でした。

介護職員も介護のプロとして働いていますが、「自分の親を介護する事だけは出来ない」と言うくらい、プロとして徹する事が出来ない「感情」が出てしまうのです。ただ、家族だからどれだけ感情的になって怒鳴りつけられたり、口論をしたりとなっても平気な顔で訪問出来るのもまた家族です。介護職員と利用者の関係で激しくぶつかり合ってしまえば、信頼関係は崩れてしまう事でしょう。

私だけに話してくれた、救われたと感じた最期の言葉とは?

幸せの葉っぱ

施設に入居して3年が経とうとした時の事です。もともと末期がんを患っていたので、「余命1年」と言われた状態での入居でしたが、余命をはるかに超えて施設で過ごされていました。しかし、2年を過ぎた頃から体がうまく動かせなくなり、痛みも伴っている様子でした。

相変わらず娘さんが来れば口論をしていたのですが、だんだんと話をする時間も短くなり、廊下に声も届かなくなっていました。だんだん弱っていくAさんを見ているのはとてもつらかったです。私と話をする時は、弱っているような姿は見せずいつものように振る舞っている姿がとても印象的でした。

最期の時は話す気力もなくなり、娘さんの方をじっと見ているだけです。娘さんもじっとAさんを見ながら手を握り、穏やかに天国へと旅立ったのです。私も最期の時に居合わせたのですが、Aさんと最期の言葉を交わせませんでした。娘さんにかける言葉を一生懸命探していたのですが、まだまだ介護職員として未熟だった私は娘さんに声を掛けられず、ただただうつむいていました。

自分の身内かのように心に響く。娘さんから思わぬ言葉

その日の夜は家に帰ってなかなか寝付く事が出来ず、「Aさんに対してしっかり介護が出来たのだろうか?」「なんで娘さんに言葉をかける事が出来なかったのだろうか」等と布団の中で何時間も考えていたのを今でも覚えています。

後日娘さんが荷物の引き取りに来た時にお悔やみの言葉を伝えると、「ほんとうにありがとうございました」とねぎらいの言葉を頂き、さらに娘さんから「亡くなる前日に初めて言われたんですよ、いつも来てくれて本当にありがとうよって」私は娘さんの言葉を聞いて胸が熱くなり、感動して涙が出てしまいました。娘さんも最期の言葉で全て救われたと、笑顔で施設を後にしたのです。

介護職員として働いて、私は初めて感動からの涙を流しました。別れが寂しくて涙を流した事はありましたが、最期の言葉を聞いて感動するとは思いもしませんでした。

最期を看取るのは悲しい事だけど、とても幸せな事である

実際家族が、施設で過ごされている人の最期の言葉を聞き、感動的な別れが出来る人は少ないです。
理由としては、

  • 仕事をしている
  • 施設から遠方に住んでいる
  • 自身も高齢であり、なかなか一人で外出をするのが難しい

といった理由で、「最期を迎えそうだ」と連絡が入って向かったものの、施設に行った時には亡くなっていたというケースも珍しくありません。亡くなっている姿を見て家族は、「最期の言葉はなんだっただろうか?」と考える人もいるでしょう。最期の言葉の多くはたわいもない会話で、本当に伝えておきたい言葉を掛けられるのはごく稀です。

Aさんの娘さんは恥ずかしくてなかなか伝えられない父親の「本当の思い」を最期の言葉で聞く事が出来たのでとても恵まれていたと言えますし、それだけ父親に会いに行っていたプロセスがあるからこそ、最期の言葉に出会えたのでしょう。

最期を看取るのはとても悲しいことかもしれませんが、立ち会う事が出来るのはとても幸せな事なのです。介護職員として、今でも忘れる事の出来ないとても感動的な貴重な体験でした。

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