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認知症の行動は本人は真剣ですが、日常生活に置き換えると面白いことがありますよね。認知症の人は今のことを覚えていられないので、その場がいつも初めての場面が多いです。そのため同じことを何度も繰り返すことがあります。

認知症のない家族からすると何度も同じことを繰り返されると寛大にいられず、冷静に対応できなくなります。ただこれも発想の転換です。認知症になり、忘れてしまうことが多い中で、同じことを何十回も話ができるのは面白く受け取れることもあります。

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いつも饅頭を取りにくる認知症のおじいさん

私は大学卒業後、特別養護老人ホームの介護職として就職しました。大学では社会福祉を勉強しましたが、勉強と実際の介護は全く違います。これをすれば良いだろうと頭では考えていても身体は思うように動きません。

それでも介護は待ってくれません。おむつ交換、入浴介助に食事介助と目まぐるしい毎日です。そんな中、いつも和ませてくれたのが認知症のAさんです。

饅頭をもらうと笑顔でお礼、無いと怒って扉を蹴る!

食べることが好きな90歳のAさん(男性)はアルツハイマー型認知症です。糖尿病も患っていますが饅頭が大好きです。認知症のため、食べたことを忘れてしまい、すぐに欲しがります。車イスに乗っているAさんは介護ステーションまで車イスを自分の手で上手にこいで来ます。

そして小窓を叩き、職員が出てくると「饅頭をくれんかな」と手を出します。饅頭を渡すと、笑顔でお礼を言って帰っていきます。夜中も含め、1日5~6回は来ます。本人からの訴えに対して饅頭を渡すようにしています。饅頭の買い置きがないと介護ステーションの扉を蹴って怒ります。

おじいさんに肺がんが見つかる

私が就職して半年ぐらいが経った頃でした。いつもと変わらない日常の中でAさんがたまに苦しそうな咳をするようになりました。それでも「饅頭をくれんかな」と来ます。

饅頭を渡すと満面の笑みで帰っていきます。熱が出ても来ます。熱発とひどい咳が続くとため、病院受診したところ、肺ガンが見つかりました。病気は見つかりましたが90歳という年齢もあり、治療も手術も特になく、痛みが出るようになったら痛み止め薬を使いましょうという話で特に何もしませんでした。

「疲れた顔だな。饅頭を食べな」優しいおすそ分け

手渡される菓子

肺ガンが見つかっても変わらず饅頭をもらいに来ます。しかし身体がつらいのか来る回数が少しずつ減っていきました。病気が見つかった頃には、症状がかなり進行していたようです。1日5~6回は来ていたAさんが、1日3回ぐらいしか来なくなりました。食事量も他の人と同じ量に戻しても痩せていきます。饅頭を自分で取りに来ると喜んで受け取りますが、部屋へ饅頭を届けても喜ぶことはなかったので、あくまで本人を待ちます。

そんなとき私の夜勤の日に珍しく饅頭を取りに来ました。その頃の私は就職して半年以上が経過し、任されることが増えた分だけ悩みもたくさんあります。その日もクリスマス会の企画書を作成中で頭を抱えていました。Aさんが饅頭を取りに来たので、私はいつものように渡します。

認知症だったおじいさんが見せた優しさ

すると、饅頭を受け取ったAさんが饅頭を半分に割り、私の手にのせてくれます。私は意味がわからず、「どうかしたの、調子が悪いの?」と聞きました。Aさんは「疲れた顔だなあ。饅頭を食べな」とにっこり笑って部屋へ戻っていきました。病気が見つかる前のAさんは認知症のため、人のことなどお構いなし。自分中心で他の人の食事まで手を出してしまうぐらいの人でした。そのAさんが自分の大事な饅頭を半分、私にくれました。

老人ホームでは認知症がある利用者も多く、食べものだけに限らず、モノの取り扱いは十分注意をしています。普段ならもらわないのですが、そのときの私はお礼も忘れて手にのせてくれたままの饅頭をもらいました。そのときの私は純粋にAさんの気持ちがうれしくて饅頭を食べました。

半分の饅頭から教わった「難しく考えずに楽しく」

私の顔を見て疲れていると言ったAさん。就職してから半年以上経ち、目に見えないプレッシャーに押しつぶされそうだったことは事実です。認知症のAさんがそこまで考えていたかはわかりませんが、半分の饅頭が「難しく考えずに楽しくやるんだよ」と教えてくれているようでした。

饅頭が大好きなおじいさんの最後の笑顔

それからAさんは車イスに乗ることも辛そうで、ほとんど饅頭を取りに来なくなりました。私が夜勤の日、久しぶりにAさんが来ました。出会った1年前に比べるとずいぶん車イスをこぐ力も弱くなっていました。

それでも介護ステーションの小窓を叩きます。「饅頭をくれんか」と言われます。饅頭を取りに来ることは問題行動ですが、Aさんが元気になったようで私個人としては正直うれしかったです。饅頭を渡すとニッコリ笑ってAさんは帰っていきました。それがAさんの最後の笑顔でした。

夜勤は2時間ごとに巡視に行きます。3時の巡視時は寝息を立てて寝ていました。しかし、5時の巡視時は身体は温かいが寝息が聞こえません。すぐに看護師を呼びました。看護師や施設近くの主治医の先生が来ました。Aさんは居室ベッドで静かに息を引き取りました。饅頭は半分食べて半分は枕元に置いてありました。

介護の仕事が好きになった、忘れられない出会い

新卒で介護の仕事に就いて、Aさんとの出会いで、大好きな饅頭を半分くれて勇気づけてくれたことは何年経っても忘れることはありません。認知症の面白い問題行動と介護が好きになるきっかけをくれたおじいさんとの話でした。

現在は介護支援専門員として働いているため、直接介護の仕事はしていませんが介護現場で働いて十数年経ちます。壁にぶつかったときはいつもAさんを思い出し、饅頭を食べます。きっとあのときと同じようにAさんが応援してくれていると心のどこかで思っている自分がいます。

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